恋をしているとき、人は誰かのために“役”を演じる。
けれど、ほんとうの恋は、その演技さえも相手のためになってしまう。
フランソワーズ・サガン『ブラームスはお好き』は、
愛と孤独、幸福と不幸の境界で揺れる人間の心を描いた物語。
「正しい不幸」を選ぶという、
静かな強さを教えてくれる一冊だ。
あらすじ(ネタバレなし)
パリの秋。
インテリアデザイナーのポールは、40歳を過ぎてもなお、恋人のロジェとの曖昧な関係を続けていた。
彼は若く、魅力的で、けれどいつまでも「自由」でありたがっている。
そんな彼に疲れたポールの前に、ひとりの青年・シモンが現れる。
彼は真っすぐで、誠実で、ポールを真剣に愛していた。
だが、年齢、過去、そして“愛すること”そのものの重さが、彼女の心を揺らしていく。
『ブラームスはお好き』は、若さと成熟、情熱と倦怠のあいだで
“人を愛するとは何か”を静かに問いかける物語。
印象に残った言葉と考察
あなたの前でぼくは、いかにも優秀な若手弁護士の役を演じた。恋をして立ちすくんでる者の役を、甘やかされた子どもの役を、どんな役でも演じた。だけどあなたに会ってから、どの役も全部あなたのためなんです。これが恋だ。そう思いませんか?
この告白には、サガン特有の“哀しみを帯びた美しさ”がある。
恋をしているとき、人は誰かに好かれるために、無意識に“役”を演じる。
けれど、ほんとうの恋に落ちた瞬間、
その演技さえも“相手のため”になってしまう。
「恋」とは、つくろいながらも、
そのつくろいの中に真実が滲んでしまうもの。
だからこそ、痛みを伴う。
この一文の「これが恋だ」という静かな問いかけには、
“どうしようもなく相手を中心にしてしまう心”への諦めと、
それを受け入れる優しさがある。
恋は自由ではなく、むしろ不自由の中にある幸福なのかもしれない。
誤った理由で幸福になるより、正確な理由で不幸になっていたほうがよかった
この言葉は、サガンの思想の核心に触れている。
「間違い」とわかっていても、
人はときに“幸せそうに見える場所”を選んでしまう。
けれどポールは、ようやく気づく。
幸福は、誰かに与えられるものではなく、
“自分で選ぶもの”なのだと。
たとえその選択が痛みを伴っても、
正直に生きることを選ぶ――
それが、サガンが描く「成熟した女性の強さ」だ。
この一文には、恋の終わりよりも深い静けさがある。
“自分の不幸を自分で選ぶ”という潔さ。
それこそが、彼女の誇りだったのだと思う。
感想・考察
サガンの筆致は、冷たく見えて、実はとても優しい。
彼女は「恋の幸福」を描くよりも、
その“終わり方”や“すれ違いの静けさ”の中にある真実を見つめている。
ポールもシモンも、そしてロジェも、誰も悪くない。
ただ、それぞれが“自分の生き方”を守ろうとしているだけ。
愛とは、誰かと一緒にいることではなく、
“誰かを思い続けてしまうこと”なのだと思う。
恋の中で演じていた役が、すべてその人のためのものだったと気づくとき、
人はようやく「愛していた」と言えるのかもしれない。


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