櫛木理宇さんの『死刑にいたる病』は、連続殺人犯・榛村大和と、彼の無実を信じようとする青年・雅也の心理戦を通して、**人間の「理解されたい欲」と「孤独」**を容赦なくえぐり出す一冊です。
読後に残るのは恐怖よりもむしろ、「自分は本当に正気なのか」という揺らぎでした。
あらすじ
大学生の雅也は、ある日、獄中の連続殺人犯・榛村大和から一通の手紙を受け取ります。
「最後の一件だけは、俺がやっていない。真実を確かめてほしい」
榛村はパン屋の店主として地域で慕われていた人物。しかし、表の顔の裏には、連続殺人鬼という異常なもう一つの人格が潜んでいました。
雅也は半信半疑のまま榛村の過去をたどるうちに、やがて自分自身の中に潜む“暗い何か”に気づいていきます。
物語が進むほど、正義と狂気、加害と被害の境界が曖昧になり、読者もまたその“病”に感染していくのです。
印象に残った言葉
どうして人は、孤独を恥ずかしいと思ってしまうんだろう
孤独は人間の原点でありながら、社会では「劣等」のように扱われてしまう。
孤独は本来、誰の中にも静かに流れている自然な感情のはずなのに、
現代では「友達がいない」「愛されていない」といったレッテルを貼られてしまう。
だから人は、孤独を隠し、つながりを演じようとする。
恵まれた環境に生まれ育ってきた検事や裁判官たちに、彼を裁く権利がほんとうにあるのだろうか
この一文には、正義を行使する側への痛烈な問いがあります。
「善人」が「悪人」を裁く構図の中で、私たちは本当に“公正”でいられるのか。
罪を断罪することと、理解しようとすること——その境界を曖昧にさせる一文です。
感想・考察
この作品の恐ろしさは、殺人そのものではなく、“理解可能な狂気”として描かれる点にあります。
榛村は異常者であると同時に、私たちの内側に潜む「孤独の化身」でもある。
社会的に正しい立場にいる人間ほど、その孤独を見ないふりをして生きている。
その構造を見事に暴いてみせるのが櫛木理宇さんの筆致です。
また、雅也という青年の存在も象徴的です。彼は「加害者を理解したい」と思うがゆえに、自らの中の暗闇を直視することになります。
それはまるで、「正義」を信じたい読者自身が、物語を通してその危うさを突きつけられるようでもあります。
まとめ
『死刑にいたる病』は、サイコスリラーの形を取りながら、“孤独”という普遍的なテーマを描いた人間小説です。
読後に残るのは、ただの恐怖ではなく、
「自分ならどちらの側に立てるのか?」という不穏な余韻。
静かな狂気が日常に潜むことを思い知らされる一冊です。

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