はじめに
「痩せていることが美しい」と信じる風潮が、どれほど多くの女性を苦しめているだろう。
柚木麻子さんの『BUTTER』は、そんな社会に向けて「もういいじゃない」と優しく、けれど確かな声で問いかけてくる物語です。
読後に残ったのは、「美しさ」や「努力」といった言葉の定義を、自分の中で改めて見つめ直したいという思いでした。
この小説を読んで私が感じたのは、痩せていることが美しいわけではないということ。
そして、日本人の容姿への厳しさ、寛容さの欠如。多様性に追いついていない固定観念。
男が求める“家庭的な女”と、実際の“家庭的な女”のギャップ。
そして、図太く生きることの大切さ。
何より印象的だったのは、食の描写の美しさ。
夜に読むと、お腹が空いてしまうほど、丁寧に書かれた料理のシーンが心に残ります。
あらすじ(ネタバレなし)
主人公は女性記者・里佳。彼女が取材対象として向き合うのは、結婚詐欺事件の容疑者である梶井真奈子という女性。
“男を騙す悪女”と報じられた真奈子は、驚くほど魅力的な食卓を作り出す人でもありました。
彼女の作る料理には、生命の匂いと温もりがあり、読んでいるだけで五感が刺激されるようです。
「食べること」「愛すること」「許すこと」。
それらはすべて同じ線上にある。
そんなメッセージを、この物語から感じ取ることができます。
印象に残った言葉
どんな女だって自分を許していいし、大切にされることを要求して構わないはずなのに、たったそれだけのことが、本当に難しい世の中だ
この言葉は、まるで現代を生きる女性たちへの“許し”の宣言のように響きます。
「自分を大切にしていい」という、ごく当たり前のことがこんなにも難しい社会に生きている。
だからこそ、この一文には痛みと優しさが同居しています。
日本女性は、我慢強さや努力やストイックさと同時に女らしさと柔らかさ、男性へのケアも当たり前のように要求される。その両立がどうしても出来なくて、誰もが苦しみながら努力を強いられている
この指摘は、現代の“女性像”を突きつけるようで苦しい。
「強くあれ」と言われ、「優しくあれ」とも言われる。
どちらかを選べば批判され、両方をこなしても足りないと言われる。
柚木さんはその不条理を冷静に描き出し、読む人に“自分を責めないで”と伝えているようでした。
ここ最近は、努力して出した結果よりも、日々いかに努力しているかがその人の質になるようになってきたと思わない?そのうち、努力ってことと、辛いってことが混同されてきて、辛い人が一番偉い世の中になっちゃったりして
この部分には深く頷きました。
「頑張っていること」そのものが目的化してしまう社会。
どれだけ苦しんでいるかが価値になるような空気。
でも、本当の努力って、もっと静かで、自分のためのものじゃないだろうか。
“辛さ”を競う風潮に対する、鋭くも温かい違和感がここにはあります。
たった一人にさえ受け入れられれば、誰もが認める美しい存在になどなれなくてもいい。本当のところは誰もそこまで美に関心などないし、そもそもそれがなんなのかさえ、よくわかっていないのだから
この言葉を読んだとき、ふっと肩の力が抜けました。
「誰もそこまで美に関心などない」――まさに真実。
SNSでの“いいね”や他人の視線を意識しすぎて、自分の感覚を見失ってしまう今だからこそ、
この一文が救いのように響きます。
作り手の気持ちを受け取るのって、食べる方にもエネルギーが必要なことだからさ。美味しさにも距離感が必要だよ
この考え方がとても好きです。
食べることを“受け取る行為”と捉える感性。
「美味しい」と感じるのは、単なる味覚ではなく、人の想いとの距離の取り方でもある。
食の描写が多いこの作品の中で、最も繊細で哲学的な一節だと感じました。
どんなに美しくなっても、仕事で地位を手に入れても、仮にこれから結婚をし子供を産み育てても、この社会は女性にそうたやすく、合格点を与えたりはしない。こうしている今も基準は上がり続け、評価はどんどん尖鋭化する。この不毛なジャッジメントから自由になるためには、どんなに怖くて不安でも、誰かから笑われるのではないかと何度も後ろを振り返ってしまっても、自分で自分を認めるしかないのだ
この一文は、本書の核心。
社会の“合格点”は永遠に動き続け、どんなに努力しても到達できない。
だからこそ、他者の基準ではなく、自分の中の声で「よくやってる」と言ってあげること。
それが、最も難しくて、最も大切な自由なのだと思います。
感想・考察
この作品に流れるのは、女性の生きづらさと、それを覆い隠す“努力”という言葉への違和感。
私たちは気づかぬうちに、**「辛い人が一番偉い」**という価値観を信じていないだろうか。
柚木麻子さんは、その痛みを決して否定せず、静かに寄り添いながら、「それでも生きていい」「自分を許していい」と語りかけてくる。
「努力」と「幸福」が必ずしも両立しないことを、この作品ははっきりと教えてくれます。
そして、“食”という行為が、どれほど人間の根源的な優しさに結びついているかも。
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“図太く生きる”という肯定
「図太く生きる」ことは、決して開き直りではなく、
他者の評価に翻弄されず、自分を認めていく強さのこと。
柚木麻子さんが描く女性たちは、決して完璧ではありません。
それでも、自分の人生を自分の手に取り戻そうとする姿が、とてもリアルで、痛いほど共感できる。
この物語を読んでいると、**「生きること=食べること=自分を肯定すること」**が、ゆっくりとつながっていくのがわかります。
まとめ
『BUTTER』は、すべての「足りない」と感じている人へのエールのような物語です。
“痩せていなくてもいい”“完璧でなくてもいい”。
社会が与える合格点を手放した先に、本当の美しさと幸福がある。
読後、お腹がすくほどに満たされて、
心のどこかに“バターの香り”のような余韻が残ります。


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